雪 の 日 丹 治 久 惠
かかりくる火の粉水の子悪意の粉ぶるつと身を振り弾く術こそ
なぐさめはこよなき薬といふひとの花のくちびる蘂なる微毒 いま在るを我の余白と愉しむか定住を捨てたるものの軽みを
挽 歌 抄 高 橋 一 子
サムソンとデリラ折々 人 棲まふ序でのやうに風少しにも飢餓童子いまだそのまま年老いてこの明け方のカナカナのこゑ 完訳マロの『家なき娘』読みてゐつサン・ジョルディに晩き春の夜
阿修羅の流れ 桜 井 千恵子
乙女像に寄せたる愛の激しさか「幾千年でも黙つて立つてろ」 木洩れ日を惜しむ思ひにたどりゆく夏の終りの奥入瀬渓流 映像のごとくはかなく見て佇ちぬ夏の終りの「阿修羅の流れ」
花 の 名 塔 原 武 夫
身を案じ子の贈りくれしケイタイに届くメールをもて余しいる 睡りへと落ちゆくきわの恍惚感透き徹りゆく刻のたしかに在りぬ またひとつ海馬のメモリー薄れゆき花の名尋ね図鑑をめくる
青色の芥子 佐 藤 淑 子
タルチョ掲げマニ塚を積む民族村観光に富むを是と思ふべし 一筋の流れに沿ひつつなほ深く尋ねゆくなり原始の森を 人間の業と言ふべき好奇心か未見を追ひて今日は秘境に
また敗戦の夏きて 原 田 夏 子
鬼哭啾啾 島島に海に数しらずなほ埋もるる死者たちの霊 参謀の無策無能に謀られて死の泥濘を進みし兵ら 敗戦後六十二年のこの酷暑ゆらめき顕つは焼土の日本
いのち貰ひし 小 松 久仁子
おだやかな明日香の陽ざし石舞台の玄室の奥にとどかざりけり 誰が墓か「馬子」にあらじかと言はれつつ石室のなか広く空しき 「山の辺の道を歩む会です」とふ人らに出逢ふあまかしの丘
日日のうた 本 木 定 子
春待つや馬鈴薯は芽を出し始む物置の箱の中の感受性 秋風に軽いものから吹かれゆきまずわたくしがからっぽになる 蜘蛛の巣に霧降りかかり花嫁のティアラの如しダイヤは負けたり
鬼 剣 舞 熊 谷 淑 子
伝承の 鬼剣舞 を踊る子ら素早く邪気を鎮めて払う( 阿吽なる面々つれて「八人加護」武者の乱舞をつぶさに見せる 秘伝書の伝授立ち会う語り草さあさあ踊れケンバイ・ヘンバイ
緑 一 色 の 菅 野 哲 子
ゆつくりと午後の入浴穏やかな貌となりゐるみどりの窓辺 要支援・要介護など縁のなき加齢ねがふもつまづく段差 老いたるも税の窓口に足はこぶ待たされてゐて竦める背は
ことはじめ 桂 重 俊
「自分の親父をお父さんという馬鹿が何処にいる」一喝ありて仙台二中 旧制 「今日よりは諸君は大人」なる訓辞 入学式に父兄をいれず 道徳は一言で足る教うべきは 悪しきことゆめ為すべからず
花 の か お 岡 田 典 子
太平洋に面した町の十勝にてはまなすゆるるに膝をおりいる 「ああしなさい」「こうしなさい」の声のなく無口の空に心が翔る 誉めたなら「勝手に咲くの」と照れつつも帽子の奥の目が光ってる
き れ い 寂 ( 遠 藤 幸 子
現在 も尚( 新鮮 しと憶ふ茶室・作庭 王朝文学への憧憬ならむ( 遠州好み名物 裂 の支覆あり七宝紋様( 縹 地の( 彩 ( 砧青磁に立ち鶴の典雅なり眺めて飽かず二時間を経し(湯木美術館)
水 楢 の 林( 伍 井 さ よ
湯豆腐の白き炎に 額 よせて秋の( 茶飯 は祈りにも似る( 赤まんまひとり遊びの椀にもり 飯 ごとの座に亡き父母も( 十三夜の月は陰りぬ てのひらの梨に密かに刀を入れつつ
盂蘭盆界隈 八乙女 由 朗
堂内に吊られし紙の五色幡風にそよげばほとけ涼しや 解したる盆飾り持ち寺を訪う人あり清しさ保たんとして 夢に出ずる墓原はいつも荒れていて藪くぐり抜け堀越えて道
草 紅 葉 有 路 八千代
枕辺に紙とペン置くこの習ひただひたすらに歩みきし道 灯台を 炙 出すがに雷鳴は鳴り響くなり真夜の海原( 八十路には八十路の歩幅ひたすらに草紅葉をばふみ分け歩む
一 夜 の 旅 穴 山 恭 子
わが家の狭きリビング占領し賓客めきし月下の美人 老残の佳人と言わむ朝まだき花びら閉じし一夜の花は 月下美人の葉の一片をさし木せるわが残生の花を信じて
記 憶 大 和 類 子
シベリヤの記憶は重く色彩を閉ぢこめたりしと香月画伯は 忘れてはいけないそれは死者達の記憶に咲かぬ紅き花々 片頬を葉月の風になぶらせて見えぬ風景ただ追ひてゐる