夢も現も 大 和 類 子
せな とは 朝霧の中を去りゆくひとの背おはやうそしてさやうなら永久に 手をたたき狂ひ踊ればいづかたより神や降りくるさびしらの神 どうしても動かぬ足は切り捨ててゆかねばならぬゆめもうつつも
背のタトウ 大 和 克 子
国へ帰って人を助ける仕事をしたい難民キャンプの少年の声 最下位のワールドカップの選手らよ誰もそのように人は生きつぐ ゆきがた この世にはあらざる青から湧き出でて行方しれずの雲白きなり
蛇園 八乙女 由 朗
おのが身の皮を捨てんと力みしか木に白く垂るる蛇の脱けがら 温もりを知るやコブラは硝子越しに鎌首広げてわれと真向かう 蛇群るる園に足をば咬まれたる夢なり醒めて昂り残る
風 本 木 定 子
ひるがお咲くま昼しーんとした世界日傘かたむけ故人が通る 樹のかげを行きすぎし人誰ならん錯覚はいつも新しくして ま白にぞ咲ききわまりし泰山木庭の王者に時よとどまれ
戦後の空 原 田 夏 子
べこ 張りぼての赤牛首を振りつづけ黄昏さへも拒みゐるなり ラーゲリの事には触れず逝きたりしある学長の戦後の空は わらわらと燃えゆくものよ燃えつきて白く残れるわれの月代
青い構図 塔 原 武 夫
庭石のうえ金蛇がこの夏も日を浴びている賢者の顔に おぼろにも影絵となりてビル街も霧に沈みぬ水無月の朝 うつし世の不安を画く絵に見入り唇かたく噛む一人となれり
窓 丹 治 久 恵
五月雨をあつむるほどの雨ならず葉桜の鬱が雫してゐる 嵌殺しの窓の律儀な居ずまひを崩してならぬ 叩き割るべし 窓ならば明りとりの窓よなよなを誘ふは闇あるときは月
夜風がさらふ 島 田 幸 造
ひのえまた 桧枝岐歌舞伎のせりふ折々に境内わたる夜風がさらふ 自らは掘れずなりしを書き添へて今年最後の自然薯とどく 喫茶店より人の脚のみ眺めつつ忙中閑ありこの一時間
湖北 柴 田 康 子
島成りしは杳き何時にか湖の面ゆるらに暗み夕ぐるる今日 遠く来て今あふぐ暴悪大笑面 たかき嘲りにまみれゐる吾 うらうらと晴れたる湖北みほとけをたづねたづねて逢ふ桐のはな
斑鳩恋ほし 桜 井 千恵子
独り占めしたき思ひのわが前に弥勒はなんぞ無防備に立つ らほつ 大仏の螺髪いくつを鋳造し一生終へたる仏師もあらむ 己が名を刻まず果てし仏師らよ千年経つつみ仏は笑む
林の中の 坂 田 健
露台の上に藤蔓伸びし棚のあり花の咲くのは今少し先 藤棚の下にコーヒー香を放ち無風無音の林に無心 若葉明るき林に在りて過ぎりたりテロリストらの知らぬ平穏
朝流し 小 松 久仁子
きぬ 夢見つつ衣縫ふしぐさする母よ九十余年の何時に戻れる 母を頼り引揚げて来し従兄姉らと大家族時代恋ふ今日七回忌 誘ふは母の声にかゆきなづみわが位置失ふ地下道迷路
岩面大佛 菅 野 哲 子
敵味方諸霊の供養と鎮魂の阿弥陀如来か磨滅はげしく 地震など崩落ありて眉欠けし石の顔面佇み拝む さすらひびと 木立より洩れくる微光神域に彷徨人のふかき合掌
莫囂圓隣 桂 重 俊
あと 額田王の歌の解読仙覚に始まる先人研鑽の足跡 ばくごうえんりん 「わが背子」は中大兄か大海人か五十を越ゆる莫囂圓隣の解 九番歌は有間皇子の挽歌とう説ありてこれを肯わんとす
雪迎え 香 川 潤 子
雪迎え糸を光らせ蜘蛛はとぶ秋陽に如何なるセンサー導く 山茶花の咲きて且かつちる水惑星炭疽菌とう怯え果てなく 風花の冷ゆるバス停に待ちいたり鳩の跛行の赤き足歩む
梅雨あかりの径 遠 藤 幸 子
陽徳院・円通院と歩みきて瑞巌寺塔頭梅雨明りせる き 海沿ひのみ堂文月の梅雨あかり青葉ゆるがせ潮風耀らふ 九曜紋反りし甍を仰ぎ去る海に対く寺古城の翳もつ
修羅 伊 藤 洋 子
「春はあけぼの」ならね、あしたを寝惚けて「天国行きの電車に乗ろう」
なづき マタイ伝〈叩けよさらば開かれん〉電子辞書打つ脳を掠む せいち イエズスの生地はろけきベツレヘム戦車躙りき これの世の修羅
南天の鳥 伍 井 さ よ
招かれて雛の間に臥すひと夜を遠世のさくらきらめきやまぬ 踏みしめて階くだりゆく夜のふけを奈落にかよふ風を巻きつつ 走馬燈 ははの早瀬やちちの崖 みかへればわがいづくの輪廻
雨の紫陽花 有 路 八千代
風哭けば共に泣きしよ少女期の押さへきれざる想ひいとしき 告げざりし愛はひそけし紫陽花の枯れつつ今も形残せり 幼な名に呼ばれし友は灯の下にやさしき限りの瞳を返す
「月の沙漠」を聴きながら 渥 美 佳 子
旅をゆく「月の沙漠」を聴きながらふたりに甕も上着もなけれど 茱萸の木の下に潜みて鬱鬱と毛虫殺める一日もある クロが死にてもう七ヶ月爪跡を障子に残したまま年明ける
ページの先頭へ戻る