さるすべり 大 和 類 子
もつれつつ揚羽は青き空に消ゆ取り残されて暑きまひるま
薄明の彼方に逃げし記憶なれたぐり寄すれば
怒 る死者たち声あげて訴ふるともせんなしや八月霧雨身にまとひつく
花 火 八乙女 由 朗
華やかに闇に開きて消えゆける生死のありて盆盛りなり
花火より離れ遠のく雲の貌天空にありあれは誰ぞも 子を背負い七夕の下抜けて行く妻若くして逞しかりき
日々のうた 本 木 定 子
烏竜茶の氷をゆすり音たてて今日の静寂を破りてみるも
DVDの安き録画に折々をわが若き日も出でて拡がる
ひとりなれど食欲ありてたのしめり夜のテーブルあしたは明日
安 寝 の値 原 田 夏 子
部屋べやに在宅警備セットして独りの夜々を安やす寝いせむとす
心張り棒それのみにして足れりとす江戸の長屋の夜の戸締りは
完全武装高性能のロボットを侍らさば夜の安寝やいかに
水の匂ひ 丹 治 久 恵
〈雨ゆじゅとてきてけんじゃ〉一掬ひたのみたき我にすでに兄亡く
幼子にみづいろの蚊帳を吊りしかな眠りにつくまで子は魚となる
水草の纏はり着きし足元に蘇らせるほーたるほうほう
木 立 高 橋 一 子
白き柵ありしは遙か冬の日に木立をぬけて一人ゆく見ゆ
朝よりの降りに籠れば過ぎし日の仮面のやうなり人と対ひて
感情が唯一なりにしとある夜の木枯らしのおと過ぎて行く音
八 桜 井 千恵子
美しき形ならねどあたたかき性見ゆ君の八の字の眉
真夏日を喘ぎ喘ぎて弱き身は八寒地獄恋ふばかりなる
「
八 」といふ住人ありて長屋には良きつきあひのありたる昔
糠漬けの味 坂 田 健
背の肉の薄くなりたり仰向けに寝ぬる背骨にたたみの硬し
下半身に知覚あらぬに目は冴えて患部を削るメスを見詰むる
日々は過ぐ 小 松 久仁子
湧く如く心うるほふ日なりけり思はぬ人と道に出逢ひぬ
美しく老ゆるは難し朝戸出に
燻 銀なるブローチつけて夕映えが凄いぞと呼ばふ声に出でて肩寄す老少年と
種 子 熊 谷 淑 子
緑陰に射す陽の筋よ何となく涅槃というのがあると思えり
大かたの恨みつらみは人為にて口をすぼめて素麺すする
自らも毒もつゆえに稔りいる青梅たわわ種子を守れり
いのちの輪廻 菅 野 哲 子
七夕の吹流し華麗にゆるるともひとり歩めり亡きひと浮かぶ 無常なる風にさらはる人ひとり旅立つ新盆の妻の許へと
幾許のあとさきならめ香を焚く遺影は倖せの刻をとどむる
夢 之 記 桂 重 俊
レバノンにイラクイランに果つるなく
銃声 聞こゆこの冥き遊星 戦敗れ東京裁判鬱憂の時代を生きて八十年を過ぐ
閨中に蛍と遊ぶ
巫 と杳き王朝の黒尉の人
淡 々 と 香 川 潤 子
ねじり花雑草なかに二つ三つ見たるを今日のよろこびとせん
うかうかと日々は過ぎゆき人間のひとりの吾の老いゆくばかり
何為 すも及び腰なる姿勢とて恥曝しつつ生きいる吾か
敗戦の夏 遠 藤 幸 子
毛越寺の池を巡りて曲水の水筋に立ち風聴きしかな
束稲 の蒼く烟りし八月を仰ぎて想ひし興亡の史を竜頭の船に鳴り出づ三弦の大池の上
水皺 響もす
夕 顔 伍 井 さ よ
人波の盆の踊りに見うしなふ亡き人ふたりみたり呼びつつ
午前零時を古書よみつげば古書の奥だれか鞦韆を漕ぐおとのする
文字摺りは芝のあはひに直ぐたてり ことばつくせよ ことば
質 せよ
落柿舎への道 有 路 八千代
幸せでありしを問へば享保雛ただにうつむく真白き面は
携帯へとダイヤル廻せば遠住める子との距離感せばまりてゆく
焦れきし天城峠に立ちどまる踊子草のゆれなびく中
ごくらくちんみ 穴 山 恭 子
海のなき甲州なれば塩鮭となまりぶしにてわれは育ちし
きんつばを肴に酒飲む日向子さん年をとるのもまた愉しとか
とりよせし煮貝をうすくうすく切りふるさとの味夏の夕餉に